2002年8月27日
  + 読むための詩

 今から詩を読みます
 そのまえに深呼吸をさせてください
 
 すー
 
 それではいきましょう
 僕は 風船です
 僕の中には つまってる が います
 つまってる は 赤や緑や青に白 で 赤く黄色く青く黒くなったりです
 あ つまってる が はじけました

 はー

 つづきます
 僕は 穴のあいた風船です
 僕の中には つまってない が います
 つまってない は 何も無くて軽いのに重いです
 こんなにも重い つまってない は 嫌いです
 だから 僕は つまってない を 殺しました

 今まで詩を読みました
 深呼吸は二度としたくありません
  + 願い事かなっ タ

 12月25日 目覚めると Kに 羽が生える
 Kは僕の友達
 空を飛びたいと言う
 
 羽が生えた 俺は 空を 飛べる

 何の根拠もない言葉を残し Kは Kは Kは 空を舞い地球にちゅうして死んだ
(つづく)


  + 芸術

 芸術に必要なものは1つだけだ。そしてすべてのものは芸術になり得る。例えば、僕はすべてのものを芸術にする事ができる。ペインター、ピアニスト、コック、ヤリチン、色んな芸術家がいるが、彼等のやり方ではすべてを芸術にする事はできない。むしろ真の意味での芸術家はKと評論家なのだ。芸術とは感覚的なものだ。すべてのものには意味も無く意味がある。それを知る事ができるのは芸術があるからだ。
 そしてこの詩もまた、芸術になり得る要素を孕んでいるがまだ芸術ではない。


  + 芸術という混沌

 上の『+芸術』は詩という芸術として追求した作品である。しかし、その文章の中にもあるように、芸術になり得るというだけでまだ芸術ではない。
 簡単に言おう。芸術に必要なものは『ものを芸術と観る人間』なのだ。
 芸術は一般に芸術家(クリエイタ)と呼ばれる者によって作られるのではない。それを受ける者(オーディエンス)によって芸術にされるのだ。ピカソの作品は誰かが素晴らしいと思った瞬間に芸術になったのだ。道端に落ちている犬の糞も、街中の騒音も、腐卵臭を放つヤミナベも、禿げたマゾの中年も、僕が素晴らしいと思えば芸術になれる。芸術家は自らを神だと思うような事があってはいけない。作品を芸術と認められるまでの間、それらは犬の糞と大差無いものなのだから。
 しかし、芸術家達は作品を作り続ける。それは作品を芸術と認められる事に喜びを感じるからだ。だが、犬の糞を芸術だと言うような人間がいるような現代、作品を芸術と認められる事はそれほどまでに嬉しい事なのか。「素晴らしい、お前の作品は糞だ」と言われているかも知れないというのに!
 これは混沌である。人間の感覚世界は広大すぎて、ついに整理ができなくなってしまったのだ。
 そう。評論家のご機嫌をとる作品を作って評価されて有頂天になって何を得ようとするのだ。
 そう。意味のわからないものに意味を見出し絶賛し芸術家に何を植え付けるのだ。
 そうだ。芸術は成長しすぎた。

 『+芸術』『+芸術という混沌』をあわせてひとつの詩です。

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